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33歳、うつ病歴4ヶ月の専業主婦が自分のことばかり語っている部屋です。

2024

0920
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2009

0513
20才の時にした過激なダイエットで摂食障害なりに拒食症から過食症へ。

それから度々、昼は拒食症、夜は過食症の癖がついてしまった。

結婚してから治まっていたけど、生理前になると過食症になり嘔吐をするくらいだったけど、うつ病になってから過食症がぶり返し、今は頻繁にしている。

精神不安定→過食嘔吐→罪悪感→リスカ→うつ悪化→また精神不安定の繰り返しがずっと続いていたが、今はリスカはしてない。

したいよ、リスカ。
心の痛みや苦しさを忘れられるし、こんな自分を罰したい気持ちもあるから。

でも、過食嘔吐もリスカもすればするだけ自分が自分を追い詰める。

手首には酷い傷跡。

嘔吐した後の涙とよだれと鼻水にまみれた私。
トイレの中にはさっきまでおいしそうな形だったお菓子達が、無惨な形に変貌している。

結婚式の時の私の最高の笑顔と幸せな生活を取り戻す為、ヨチヨチ歩きで進んでる。

先は遠い。
でも生きる為、克服する為に、私は1番鬱が酷い時の私を思い出す。

それで、今現在の自分と比べてる。
そうすると、前に進んでる事がわかるから。
少しでも進歩してたら自分で自分を励ましてる。

私の心、本当の私の気持ちは私しか知らないからね。
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2009

0510
自宅で、深夜死のうと思いカッターで首と手首を切ってから、翌日からまた夫の実家へGO!

本当に死にたかった。
死ぬことに未練はなかった。
精神不安定で、悪いほうにしか物事を考えられなかった。
それは今でもそうだけど、あの時はお酒も入ってたから倍辛かった。

自宅でも宿泊は一切していない。
自宅に帰ってきても夜には夫の実家へ帰る生活が続いている。

病院で首と手首の傷を観てもらった。
首は同じ箇所を何度も何度も切ったから身が出てもりあがっていたが、深くまでは傷ついてなかったみたい。
手首はものごっつい痕が残ってるけど、縫ったりはしなかった。

今の実家での生活は、タバコは部屋で吸ってもよし、お酒も3%のビールと3%のチューハイ一本ずつかノンアルコールビールでチューハイ一本とかだった。


でも、GWの最終日4/1のマイスリーを飲んで起きてGWでの人との交流の疲れでうつが酷く、2Fの自分の部屋にあてがわれている窓から見えるクーラーの換気のデカイやつが置いてあるスペースがあって、そこに降りて歩いてベランダまでよじ登って隣の部屋へ行ったら鍵が閉まってたので、また帰ろうとしたら隣のおばちゃんに見つかって、義母と義父にバレてしまった。

それから夕方まで酷いうつ状態が続き、ずっと横になっていた。
その夜の夕食時、アルコール禁止とタバコは神経に悪いと行って1Fの台所の換気扇の場所で吸う事ときめられた。

深夜になると色んな事を考える。
制限されてむしゃくしゃしたり、自分の為を思ってるんだと無理やり納得させたり。
リスカも首を切ってからしていない。
苦しい時は、爪で身体を引っ掻いて我慢してる。

週に2,3回はこっそり過食嘔吐してる。
それだけが、私のはけ口、ストレス発散みたいなもの。

これから、ちょこちょこ天気の良い日は自宅に帰ってPCで調べ物をする事になったので、ブログの更新もできる。

ブログも私の支え。
はけ口。
ストレス発散。

誰も見ていなくてもいい。
でも、この私の心の中を語れるのはブログだなと感じる。
今日は、更新できてスッキリ。

また更新の日まで…。

2009

0427
またまたお久しぶりのブログです。

一週間前に手首と首を剃刀で切ったので、また夫の実家にいます。

首を切ったのはもちろんほんとに死のうと思ったから。

でも、傷の深さがもう一歩で生きてます。

明日の昼過ぎに自宅に一時帰宅なので、また更新できたらいいな。

2009

0415

日曜に兄の奥さんが赤ちゃんを産んだので、今日兄が迎えに来てくれて家族総出で奥さんの入院している病院へ行った。

そこの産婦人科はとても広く、清潔で明るくて良い環境だった。
2Fに上がると生まれた赤ちゃんがガラス越しに見れる場所に兄の赤ちゃんがいた。
とても小さくて可愛いなぁってすごく感じた。
その後、奥さんの病室へ行き、話しをした。
とても辛かったらしく、大変だったと色々話をしていると、看護婦さんが赤ちゃんを連れて来てくれた。

間近でみると本当に小さい。
抱っこをさせてもらったら、とても軽くて小さくて可愛くて、ほっぺも手も足も何もかもが柔らかかった。
でも、小さくても、出す場所を考えると本当に出るの?って。
でも、実際そこから出て小さな命が誕生したんだなって思うと人間って、女性ってすごいと改めて思った。

兄はさっそく親バカぶりを発揮していた。
母は可愛い赤ちゃんに夢中だった。
父は、静かにしていたけど、顔は微笑んでいた。

奥さんとさよならをして、3人で外食をして帰宅。

今、思う事。

赤ちゃんの誕生を母からメールで知らせてもらった時、嬉しさと同時に

『私は何をしているんだろう』
『私は家族に何も返せていない、喜ばせる事ができない』
『私はなんて無駄な人間なんだろう』

次々とそんな想いが頭にぐるぐると過ぎり、自分が憎くてしかたなかった。
今日も、その時と同じ想いが倍になって頭を過ぎる。

自分に向かって。
『役立たず!』
『生きる価値なし!』
『死んだら?』
『何でまだ生きてるの?』

って散々罵ってやった。
リスカもしたかった。
でも、過食嘔吐した。

それでも自分をもっと傷つけたかった。

こんな気持ち、夫に言ってもわかる訳ない。
先生はメールの時の気持ちを語ると、「私は私と強く思いなさい、流されないで下さい。」
と、言ってくれた。

でも、やっぱり負けてしまった。
流されて溺れて深く深く沈んでしまった。

誰かに聞いて欲しかった。
だからブログに書いた。
ただの自己満足だけど、これがないともっと荒れていたと思う。

見ている人がいなくてもいい、
共感出来ない人もいていい、
ただ、聞いて欲しかった。

嬉しい事も素直に喜べないなんて悲しいね。

2009

0414

クリニックの日、寝坊で時間ギリギリで行ったら閉まってた。
ドアを叩いても応答なし。
電話しても『使われておりません』。

慌てて夫に電話で報告。
色々話をしていたら12時30分に予約していたが、夫が今、13時40分やでって…。
おまけに、携帯に電話した時も市外局番からかけないといけないのに、普通に家電と同じようにかけてたのに気がついた。

時間潰しに近所のパチンコ店で1円パチンコをしたら4000円も使ってしまった。(収穫なし)
時間をみると16時半。
クリニックに行くと順番が5番目。
ツイてないなぁと思いながら待つ。

そして、診察を終え、処方箋をもらって隣の薬局に行くと人がかなり多かった。
処方箋とお金を払い、後は薬待ちとちょっとスペースが空いていたソファに座ったら、喧騒と疲れと自分の失態とで発作の兆候が出てきた。

慌てて薬を飲んだけど、発作はしばらくしないと止まらない。
なるべく小さく俯き、早く発作が治まるのを待ったけど、そう言う時に限って名前を呼ばれた。

目がうつろで話もそこそこに薬をもらい、ふらふらしながら自転車で帰ろうとした時、薬局の受付の人が休まれてから帰りましょうと、声をかけてもらったのでそれに甘え、少しの間横にならしてもらった。

ブツブツ言葉を言ってしまったりするので、髪の毛で顔を隠しながら発作が治まるのを待った。
ちょっとマシになってきたので、さっきの受付のお姉さんにお礼を行って薬局を出た。

途中で夫に電話をし、事情を話し、夕食は近くのほか弁にしてもらった。
家に帰宅後、やらなければいけない事だけをして、ホットミルクを飲んで横になってたら、いつの間にか寝ていた。
朝食を食べそびれ薬を飲んでいなかったのでクッキーを食べ、薬を飲んだから眠たくなったんだと思う。

その直後夫が帰宅し、私はちゃっちゃと食事を済まシャワーで簡単に髪と身体を洗った。
で、今から寝る所。

長い一日で、疲れた日だった。
1円パチンコは楽しかったけどね。

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プロフィール
HN:
かろり。
年齢:
49
HP:
性別:
女性
誕生日:
1975/05/14
職業:
専業主婦
趣味:
インドアが大好き、特に漫画ゲームは大好物です。
自己紹介:
紙一重管理人・かろり。
うつ病+神経症の発症から4ヶ月目がたちます。

このブログは、ほぼ管理人の自己満足日記になってしまう予定なので、興味の無い方は遠慮なくスルーしてください。

また30代前半(どなたでも歓迎です)でうつ病になってしまった方など、このブログを見て共感していただけましたら嬉しいです。
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