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33歳、うつ病歴4ヶ月の専業主婦が自分のことばかり語っている部屋です。

2024

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2008

0920
プロフィールで書いたように、昔は中学3年の卒業式の頃が一番ピークで、157cmで73キロもあった。

卒業式の写真は今でも置いてあるが、まったく顎と首の境目がなかった。

高校には行かず、学校の就職案内で工業地帯の事務に就職した。
でも、もう一人中卒で就職した女の子がいて、私はすごく嬉しかった。

でも、明るい彼女の性格の影響で私の存在はあって無いような人になり、結局すぐ止めた。
次はコンビニのアルバイト。
20代前半頃のフリーターの人がほとんど店を任されていて、色々と説明を受けて昼間に働いた。
やっぱり夕方は高校生がバイトしているので、ほとんど1,2歳しか変わらない男女が交代で来ていた。

ほとんど会話することなく、日々が経ち、ついに昼間にもアルバイトの女の子がやってきた。
見た目昔で言うとヤンキーっぽい女の子だったけど、年が近かったのですぐに仲良くなった。

そして、数ヶ月後、倉庫の整理をしていた時、その子が20代の男性フリーターから色々貰っている事を知った。
その子は彼氏持ちだったが、年の割には色気があってグラマーで可愛かった。
その女の子は、夕方のバイトの人とも仲良くなっていた。

前回の就職の時にも同じ経験をしていたので、そんなにショックはなかった。
でも、男は皆女を容姿で選ぶんだなと感じた。

かなり太っていた私は、女ではなく、ただの人間。
魅力も一切無く、あるのは何でそんなに太っているのと軽蔑した目で同情の言葉をかけるくらい。

そんな自分を変えてやろうと思ったのが、19歳の時。
太ったままでいても過激なダイエットをして痩せても結局は、同じ重みの悩みをかかえた人生になっていたんだろうと思う。
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2008

0920
今日は、頑張って家の玄関の掃除と玄関口のシートの張替えなどでいつもより疲れているはずなのに、まだまだ寝れそうにない。

自傷もしたかったけど、とりあえず長袖を着ても暑くない日が来るまでは、手首に傷をつけるのは控えよう。

今日は、台風がくるとの事で久しぶりに母が来なかった。
夕食、グラタンが以外にも美味しくて過食のスイッチが入り、家にあるアイス、かりんとう、チョコと食べまくった。

ちょうどその時、夫が帰宅して来たので、夫も知っていたので過食したと正直に言った。
夫はすぐ「しゃあない(仕方ない)」と言うけど、世間からみたら変に思われるのにしゃあないで済ましてくれるのが昔は腹が立ったけど、今は助かってる。

夜に無性に身体を傷つけたくなったが、明日兄夫婦の新居にお邪魔するので、とりあえず緊急措置蚯蚓腫れ程度にしておいた。

過食嘔吐をするとどうしても罪悪感で自傷したくなる。
わかってはいるのに、抑えられない私は弱い人間かな。

うつの方は、今はマシになったけど、日増しに心にポッカリと何かが欠けている気がして仕方ない。
私って一体何のために生まれてきたの?
そして、なんで生きているの?
散々死にたいとか思ってた癖に、半分は理性で留まっている。

本当は、両親から離れたくない。
でも、それは一生叶わない現実。

それだからこそ、母と父を笑顔で見送って後は、夫と二人でゆっくり治していこう。
何10年と過ごしてきた実家がなくなる。
明日は笑顔の仮面を被って、兄夫婦に「両親をよろしくね」と言おう。

明日は、酒を飲みまくってやる。
もちろん薬飲んで時間置いてからだけどね。

2008

0919
昨日、出かける用があったので一人で自転車漕いで外出した。

100円ショップに寄ろうと信号待ちしていた時に突然、何とも言えない感情が溢れ出し、耐えようと首の後ろを爪で引っかいたり跡が残るほどに押して我慢していた。

こんな時のためにとん服で安定剤をカバンに入れていたことを思い出し、急いで100円ショップで水を買いに行った。

でも、またまた意識がもうろうとしてカッターやギザギザの小さい包丁も買ってしまった…。
店を出て、まっさきに薬を飲んでしばらくジッとしていた。

外で、こんな感じになるのは久しぶり。
家にはお母さんが待っていたので、スーパーで買った和菓子をお土産にあげた。
カッターと包丁はそっと見つからないように隠した。

この間の母の泣いてる姿を見て、私は母には自分のドロドロとした感情は見せない、話さないと誓った。
突然の発作のときは仕方ないが、母と父がが来年、兄の新居で一緒に安心して暮らせる日がくるまでは、自傷は我慢しようと思った。

どうしても無理な時は、見えない場所にしようと思う。
もう悲しい泣き顔は見たくないから。
ずっと元気に笑っていて下さい。

2008

0918
母と、二人して泣いた日の夜に、夫が「何かして欲しいことないか」と聞いてきたので、
私は、家族がうつ病になった時にどうするかの本を読んで欲しいと言った。

すると、夫はネットで調べたし、仕事も毎晩忙しいのにそんなに本は読めないと拒否した。
その後、また「俺にどうして欲しいんだ」とキレ気味に言ったのが、私の心の中に溜まっていた数々の悪の感情が顔を出した。

私は夫に初めて怒鳴って非難した。
「どうして欲しいかなんて聞かないでよ」
「逆に聞くけど、私はどうしたらいいの?」

病気を治したい、投げやりや自傷などもしたけど我慢もして自分なりにやってきて、どうして欲しいか聞いてくれたから本を読んで欲しいと言ったら拒否されて。

一緒に病気と闘っていこうと何度も言ってくれたのに。
私の本性が出て、ずっと前からの事からの私の気持ちを延々と泣きながら怒鳴りながら言い続けた。

もし、私がうつ病になってなかったらこんなに自分の気持ちをはっきり夫に言える日は来なかった。
夫も私がこう思ってたなんてずっと知らないままでいたんだろうなと思うと、不謹慎だけど、病気がこういう機会を与えてくれたんだと思った。

夫は、静かに聞いていた。
まだまだ問題は多いと思うけど、私の心の沈殿していたドロドロが少しなくなったような気がした。

2008

0917
今日の昼、母が来てくれた。
最初は、何気ない会話をしていたが、私は土曜に自傷行為をしてしまった事を話したら、母が怒りながら泣いた。

母の涙を見たのは久しぶり。
でも、今回は私が母を泣かせてしまった。
母の泣くのを見るのが私は一番辛い。

母は、もう自分を傷つける事はしないでと言って、私に手作りのパワーストーンのブレスレットをくれた。
自傷をしたくなった時は、このブレスレットを見て、母を思い出して欲しいと。

私は、また罪を犯してしまった。
自傷行為を受け入れ、私に負担がないように諭してくれていたのに、私はそれに甘え、また許してくれると勘違いしていた。

私も泣いた。母も泣いた。
でも、母はこの話はおしまいと言って、普段通りに接してくれた。

私は、出来るだけしないよう我慢すると曖昧な約束しか出来なかった。
でも、はっきりと「死なないからね」と言った。

思い返せば、一番母を泣かせているのは私ではないのだろうか。
大切な人に悲しい思いをさせている自分がまた嫌いになった。
けど、それと同時に病気とちゃんと向き合って笑顔で「治ったよ」と、言える日を願った。
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プロフィール
HN:
かろり。
年齢:
49
HP:
性別:
女性
誕生日:
1975/05/14
職業:
専業主婦
趣味:
インドアが大好き、特に漫画ゲームは大好物です。
自己紹介:
紙一重管理人・かろり。
うつ病+神経症の発症から4ヶ月目がたちます。

このブログは、ほぼ管理人の自己満足日記になってしまう予定なので、興味の無い方は遠慮なくスルーしてください。

また30代前半(どなたでも歓迎です)でうつ病になってしまった方など、このブログを見て共感していただけましたら嬉しいです。
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